第74回全日本スリークッション選手権大会はGW開催
会場となるのは東京・成増の『アクトホール成増』特設会場
『公益社団法人日本ビリヤード協会』(NBA)が主催、公認するビリヤードの「全日本選手権」には、ポケットビリヤード、キャロムビリヤード、スヌーカーなど様々な種目がある。その中でも最も長い歴史を持つのが、今年で74回目を迎える『全日本スリークッション選手権大会』だ。
昨年の選手権者・島田暁夫
近年は毎年ゴールデンウィーク中に開催されることが多いスリークッション日本一決定戦。今年は5月2日(火)〜4日(木・祝)までの3日間の日程で、東京・成増の『成増アクトホール』特設会場で行われる。ここでは3回に渡って伝統ある「全日本選手権」の歴史を簡単に振り返ってみたい。
全日本スリークッション選手権の始まりは1938年(昭和13年)、今から79年前に遡る。日本でビリヤードと言えば、ポケットではなく、スリークッション、四ツ球などのキャロムだった時代に第1回大会が開催され、世界でも名を馳せた名プレイヤー、松山金嶺が初代の全日本選手権者となった。
左が松山金嶺。右は当時世界最強と言われたアメリカのウィリー・ホッペ
松山はその後1942年(昭和17年)の第4回大会までその座を守り続けたが、戦火が激しくなり、さらに敗戦国となって厳しい復興の道を歩むこととなった国内の状況もあって1943年(昭和18年)〜1948年(昭和23年)までの6年間は、残念ながら全日本選手権が開催されることはなかった。
大会が復活したのは1949年(昭和24年)。この第5回大会で全日本初優勝を果たしたのが小方浩也で、以降小方は、久保敬三、宮口清といったライバル達と鎬を削りつつ、1960年代後半までに7連覇を含む15回の全日本制覇を達成し、名実ともに日本のナンバーワンプレイヤーとして活躍を続けた。
久保敬三(左)と小方浩也
ちなみにこの時期、小方の全日本連覇記録が7で途切れた1955年(昭和30年)、ビリヤードは、それまで適用を受けていた、いわゆる「風俗営業取締法」から除外され、スポーツとして認められた。日本が経済成長を遂げていくのと歩みを同じくしながら、ビリヤードも普及のスピードを上げていったのだった。
そして1960年代後半から小方と入れ替わるようにして頭角を表し、日本のトッププレイヤーとしてキャロムビリヤードを牽引し、さらに世界の舞台でも輝かしい実績を残したのが
小林伸明と小森純一、そして吉原良男だった。3人の時代は昭和から平成に時代が移り変わっていく30年に渡って続くこととなる......(明日に続く)。
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