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2016.11.01 全日本選手権

【全日本特集 Vol.13】2011年テンボール導入での『中華進撃』。そして2016年

変遷の現代プール史〜後編

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本日はテンボールへと移行した2011年をフィーチャー


昨日までで『全日本選手権』の起こりからの競技種目の変遷、そしてラックがよりタイトになることに伴うナインボールのゲーム性の変化という出来事について紹介していきました。そして本日は一気に第44回大会が行われた2011年のお話へと進みましょう。

この年もやはり、全日本選手権において大きな変化の年でした。その変化の要因は男子種目のテンボールへの変更。世界のプールシーンでは2000年代後半から、より運の要素が減り『実力のある選手が勝つ』ルールとしてテンボールが採用されることが増えていました。そして日本でも同じように、徐々にテンボールの試合が増え、2011年に『ジャパンオープン』でも採用されるという状況にあったのです。

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この年の選手権に衝撃を走らせたのが、当時22歳の柯秉逸だった


世界中からトップ選手が集まる全日本選手権で行われるであろうワールドクラスのテンボールバトルに、観客の期待は高まっていました。ディフェンディングチャンピオンのトーステン・ホーマン(ドイツ)やテンボール世界チャンピオンのミカ・イモネン(フィンランド)とダレン・アプルトン(イギリス)などに特に注目が集まります。そんな中で頂点に駆け上がって優勝を果たしたのが、高校時代の同級生である呉珈慶(中国)を決勝戦で破った、当時22歳の柯秉逸(台湾)だったのです。柯はシュート力の高さや手球コントロールが世界レベルであったのはもちろんですが、何よりも光っていたのがブレイクの安定感。それが決勝戦での9度のブレイクからの7度のマスワリに繋がったのでしょう。

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テンボールはブレイクの名手こそ勝てるというのは今年も土方隼斗が示している


台湾選手の優勝は1998年の張皓評以来。2012年には張榮麟、2013年に再び柯と台湾選手が続けて制していきます。さらに全体的に台湾選手の上位も目立つようになり、全日本選手権は『中華進撃』の様相となっていきました。これはやはり、台湾撞球界のテンボールブレイク技術研究の成果とも言えそうです。

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昨年優勝のヨハン・チュアもやはりブレイクの安定感はピカイチだった


やはり、今なおブレイクショットの技術の差が順位の差となっていることは引き続き示されています。ここ2年の優勝者、レイモンド・ファロンとヨハン・チュアという2名のフィリピン若手もブレイク技術の高さが光っていました。ブレイク技術の高さがテンボール勝率の高さ繋がる、という流れこそ、2011年の全日本選手権がもたらした変化だったのでしょう。

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ナインボール・オン・フットはどのような変化をもたらすのだろうか


さて、今年がまさにこのような大きな転換の年となりそうです。『ナインボール・オン・フット』は従来のナインボールとは全く異なるブレイク技術が要求されます。そこでいち早く、コーリー・デュエルのように最も確率の高いブレイクを編み出す選手が出るのか、再び台湾勢がその研究の成果を発揮して旋風を巻き起こすのか、あるいは日本の選手が海外選手も驚く高いブレイク技術を見せるのか。

いずれにしても、昨年までの流れが大きく変わる可能性は十二分にあります。観戦の際には、選手達が見せる新たなブレイク技術に要注目です。

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