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2016.10.31 全日本選手権

【全日本特集 Vol.12】2001年『タイトラックの申し子・デュエル』

変遷の現代プール史〜中編

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本日はアメリカのコーリー・デュエルがキーパーソン


昨日は『全日本選手権における種目変遷の歴史』のお話をしましたが、本日は日本プールの現代史において、その変化が起こったまさに「その年」をご紹介していきましょう。

1991年よりナインボール種目にて行われてきた全日本選手権。当時はいわゆる「木ラック」で9個のボールがラックされており、安定してポケットインさせるのは難しいため、ブレイクの「強さ」がゲームを有利に進めるための大きな要素となっていました。

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ラックを組む手元に見えるのが『サルド・タイトラック』


しかしながら、2001年の第34回大会に全日本選手権で採用された『サルド・タイトラック』がそれを大きく変えるのです。これは当時の世界的なトーナメントにおけるスタンダードとなっていた、全てのボールが密着したラックが簡単に組めるアイテムです。現在はラックシートの普及で日本国内で使用されることはほとんどありませんが、当時としては画期的なアイテムでした。

このサルド・タイトラックの出現によってブレイク時のポケットイン率は格段にあがり、ポケットビリヤードの試合会場の風景は一変。コントロールブレイクを重視する選手が一気に増えたのです。そしてその先駆けとして2001年の世界のプールシーンを席巻したのがアメリカのコーリー・デュエルでした。

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タイトラックの攻略術をいち早く見付けたデュエルは大旋風を巻き起こす


デュエルはコントロールブレイクを武器に2001年の『BCAオープン』、『USオープン』で優勝を果たします。彼は誰よりも早く、1番ボールをサイドポケット近くにコントロールし、それを皮切りにマスワリを重ねていくスタイルを確立し、『タイトラックの申し子』とも呼ばれました。そして、全日本選手権でもやはりそのブレイクで勝ち上がり、ミカ・イモネン(フィンランド)を決勝で破って全日本選手権初優勝を果たしたのです。

これが現代プール史における最重要事項の1つ、『タイトラックのデュエル旋風』であります。この年はナインボールという種目のゲーム性を大きく変える年でした。これ以降、ブレイクショットの強さよりも「上手さ」が勝ちに直結する要素となっていきます。

そして明日は、テンボールへと移行した2011年に全日本選手権に走った衝撃から紹介していきましょう。

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