1月23日(日)夕刻、かねてから病気療養中であった、日本プロポケットビリヤード連盟(JPBA)所属の木村義一プロが、入院先の病院で逝去された。享年84歳。1月25日には、遺族の希望もあり親族や木村氏が過去に京都市内で経営していたビリヤード場『白ばら』の常連客など、生前から付き合いの深かった近親者が参列しての通夜が、26日10時からは京都市の『かもがわホール』にて告別式が営まれた。
木村氏は1931年、京都に生まれ、第二次世界大戦後に米軍キャンプに働きに出たことをきっかけにビリヤードと出会った。その後しばらく印刷会社で会社員を務めたのち、再びビリヤードをプレーするようになり、前述の『白ばら』の経営を受け継ぐことになったのもきっかけの一つとしてさらにビリヤードに打ち込み、50歳を過ぎてからJPBAのプロフェッショナルプレイヤーとなった。
以降、もちろんプロとしてトーナメントにも出場していたが、常に観客を喜ばせること、ビリヤードファンを増やしていくことを第一に考えていた木村氏の活動は、驚きと発見に満ち、一目でビリヤードの魅力を伝えられる「トリックショット(曲球)」を創り出し、自身のお店やイベントなど様々な場面で「魅せる」方向にシフトしていった。
木村氏は持ち前の探求心と自由な発想力で、代名詞とも言える「ダルマ落とし」を始めとした数多くの独創的なトリックショットを考案し、披露した。90年代に入るとその評判は国内だけでなくアメリカにも届き、数々のオファーが舞い込むようになった。プールの本場で目の肥えた観客を前にして、エキシビションやTVショーなどに出演し大きな反響を呼んだ木村氏は、いつしか「世界のキムラ」として、世界中のビリヤードファンから敬愛される存在となっていった。
2013年、『BCJ Hall of Fame』授賞式にて
その後も木村氏のバイタリティは衰えを知らず、幾度となく海外へ飛び、国内においても数え切れないほどのエキシビションやTVに出演し、日々新たなトリックショット作りにも力を注ぎ続けた。そして2006年には『NEWS WEEK 日本版』の中で「世界が尊敬する日本人100人』の一人に選ばれ、2013年には日本ビリヤードへの多大なる功績により『BCJ Hall of Fame』(日本撞球殿堂)の表彰も受けた。2008年、『白ばら』の閉店を機に最前線からは身を退いた木村氏だったが、その後も生涯に渡ってJPBAプロの看板を背負い、請われればキューを握り、豊富な経験と知識を含めて、ビリヤードの魅力を数多くの人々に伝え続けた。
本来ならばリタイアし、セカンドライフを楽しむに十分な年齢となってからも全力でビリヤードとともに走り続けた木村氏。本当に希有なビリヤード人生を送られた尊敬すべきプロフェッショナルプレイヤーであった。もうその姿を拝見することができないのは寂しい限りだが、木村氏のことだからすでに、そのバイタリティと旺盛な好奇心で、今まで会うことが叶わなかった過去の世界的名プレイヤー達を訪ね歩き、ビリヤードの話、トリックショットの話に花を咲かせておられることだろう。