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2014.12.01 その他

訃報:立花正雄氏55歳=JPBAプロプレイヤー

魅せる球を追い続けた男

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日本プロポケットビリヤード連盟(JPBA)所属のプロプレイヤー、立花正雄氏が10月23日6時02分に死去した。享年55歳。

作曲家を志して18歳で上京した立花氏は、20歳の頃にビリヤードと出会うと、一気にその面白さに惹かれ、1988年にJPBA22期生としてプロ入り。自由な発想と繊細なタッチから繰り出される押し、引き、ヒネリによる手球のアクションが代名詞のプレースタイルで、数多くのビリヤードファンから愛された。

1995年には東日本プロツアー第5戦で初優勝を飾り、1998年からは本誌にも登場してそのテクニックを披露。さらに1999年からは自ら原稿を執筆する形で『立花流 手球アクション道場』を連載し、2004年にはDVD『ヒネリを究める』全2巻を監修。そのテクニックのエッセンスを余すところなくビリヤードファンに紹介した。

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本誌やDVDでも、その卓越したテクニックと理論を紹介してくれた

そしてプロプレイヤーとしても「魅せる球」を撞いて勝つことにこだわり続けた。編集部の中で特に思い出に残るのは、2000年のジャパンオープン。決勝トーナメントに勝ち上がった立花氏は、優勝候補筆頭で、この時準優勝したジョニー・アーチャーと対戦。久しぶりに上がった大舞台でも、ビッグネームが相手でも、立花氏の手球は、いつもと全く変わることなく縦横無尽にテーブルを駆け回った。試合に敗れはしたものの、アーチャーが立花氏のショットに目を見開いて驚く姿は、今でも心に深く残る光景だ。

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2000年ジャパンオープンより。球にかける信念は揺るぎなかった

立花氏は、本誌の黎明期にビリヤードの面白さと奥深さを教えてくれた大きな存在であった。自身が執筆した原稿の細かな語句の一つにも「こっちの表現の方がより面白いよね」とこだわりを持つ姿、手球へのアプローチをピアノのタッチ感になぞらえて語る姿などは、まさにアーティストだった。編集部一同、改めて心よりご冥福をお祈り致します。