珍しい光景だった。北陸オープン男子ファイナル。6-0とリードして迎えた第7ゲーム。2番を外した大井直幸は、その瞬間心底悔しそうに「ああああ」と声を上げた。普段のおどけている時の軽い声ではなく、腹から出ている声だった。あれを本音と言うのだろう。
結局、そのファイナルを8-3で制して、大会4度目の優勝を決めた大井が開口一番放った言葉は、「もっと完璧に勝ちたかった」である。羅立文に3点を与えた自身のプレーの隙を悔いていた。過去(彼の場合、終わったらすぐ過去である)のプレーに頓着することが少ないというか、頓着する様を表にはあまり見せない・語らない大井にしては、このコメントも珍しい。
変化は彼の内面で起こっている。2006年のプロデビュー当時から、国内でトップクラスの成績を積み上げ、JPBAプロランキング年間1位が2度。海外遠征も精力的にこなしているが、世界の個人タイトル(ナインボール世界選手権)では3位が最高だ。団体戦では2位も3位もあるが、まだ優勝はない。彼が昨今つぶやくフレーズ、「僕に羅や(土方)隼斗ぐらいの真面目さがあればね」や「真面目に撞きました」には、世界獲りのヒント......いや、答えそのものがある。
ここでいう「真面目さ」とは「一球に対する執着心」と置き換えて良いだろう。大井にそれが備わっていない訳ではない。むしろ人一倍強かったからこそ今の大井があるはずだが、あの韋駄天のプレースタイルと楽天思考によって巧妙に覆われていた感がある。あるいは恐らくだが、執着心を発動しなくても国内の試合で勝ててしまっている現実がある。今の大井はどうか。筆者が接してきた限り、徐々にその覆いを取り払っているように感じる。言葉は短いながらも的確に自分の不足を語り、悔しさを滲ませた姿を見せる。
優勝の瞬間、大井の胸に去来した感情はどんなものだったのか
この変化は彼のフィジカルと連動しているのだろう。大井は今年に入って深刻な腰痛(椎間板ヘルニア)を発症した。ほぼ毎回、遠征の翌日に痛みが出る。6月の世界選手権では試合中に激痛に襲われるなど、大会期間中もベストコンディションでいられることは少ない。普段もキューを握る時間を減らさざるを得ない状況に直面し、さすがの大井も一度は競技生活を諦めかけたが、現在は「長い付き合いになると覚悟して」治療を継続している。
腰に爆弾を抱えた大井は、諦念の中、「世界」と自分との距離を冷静に測り直し、持てるものを総動員して、彼我の距離を詰めていく覚悟を固めたのだろう。自身が持つテクニック・ナレッジ・メンタル・フィジカル、そして、世界を獲るという不変の意志の、棚卸し作業を進めてきた2014年だったのではないか。
そう思えるほどに、今回の北陸オープン、特にファイナルにおける大井のプレーからは鬼気迫るものを感じた。顔相に凄みが宿っていた。それでいて、彼一流の柔らかいタッチとスピード感は微塵も損なわれていないのだから、世界のプールシーンを見渡してもやはり稀有なスタイルの持ち主であることは間違いない。今年のプロ公式戦は残すところ、『西日本グランプリ第5戦』(11/2)と『全日本選手権』(11/20~24)のみ。大井が全日本チャンピオンになっても驚く者はもはやいないだろう。