Player Pick Up 萩原孝昌
初優勝がかかるゲームでも常に冷静だった
「めっちゃ嬉しいです、はい」
トロフィーを抱えたまま萩原孝昌は清々しく答えた。プロ入りして17年が経過。これまで優勝はなく準優勝が2回。2年間、ヘルニアを発症して球が撞けない時もあった。
「今まで撞き番を待っている時は冷静でも、テーブルに付くとそうじゃないことが多かった。今日は冷静に自分のことも相手のことも見ていられましたね」
9日と10日の『スリークッション東京オープン』、JPBF初の試みとして場内実況放送が行われた。優勝した萩原のセミ・ファイナルとファイナルの2試合がその対象となり、梅田竜二と鈴木剛が解説を担当した。
ファイナルは界敦康との戦いになった
梅田と萩原は10代の学生時代から親交があり、萩原が得意の水泳を梅田に教え、梅田が萩原にビリヤードを教える間柄だったという。
また、鈴木と萩原はプロ入りの同期であり、'10年のアジア大会では鈴木がプレイヤー、萩原がコーチという関係で、金メダルを獲得したことは記憶に新しい。
だから、梅田・鈴木の両プロは放送席で立場上は中立でありながらも、心では萩原を応援していたのではないかと思う。両プロの語り方と表情を見て、筆者はそう確信している。
「正直ね、自分が優勝するより嬉しかったです。ハギの優勝はね」(梅田)
大会後、梅田は臆面もなくそう語った。そして萩原が言う。
「同期のプロ達が僕より先に活躍していたじゃないですか。僕だけ置いていかれていた感じはありました。やっとみんなの仲間入りができたかなと思います」
ゲーム際でランを重ねる勝負強さを発揮した
それにしても素晴らしいプレーだった。本人は反省点が多いと語るが、梅田戦(ベスト16)の最後の8点撞き切り、そして
田名部徳之戦(セミ・ファイナル)の7点と9点撞き切りは、「東京オープンチャンピオン」に相応しいものだった。
18年目でようやく掴んだタイトル。「もっと練習したい」という萩原の言葉は本心からのものだろう。
〈T.KOBAYASHI(B.D.)〉