第1回アマチュアバンド選手権大会
第1回大会のトップ3。左から西村選手、細野選手、下村選手
11月4日(日)、東京都中野区にある『ビリヤードコビー』にて日本ビリヤード協会(NBA)主催の下『第1回アマチュアバンド選手権大会』が行われた。
若手・ベテラン選手が混在する試合となったが、周囲の予想に反して波乱含みの展開となった。優勝候補の今村啓助選手・眞山久史選手を始めとした関東勢が振るわず、決勝トーナメント・ベスト4ではなんと全員が中部代表という展開に。
栄えある初代王者となった西村茂樹選手
話は変わって、日本における「バンド」とアマチュア公式戦開催までの歴史について述べてみたい。
古く昔からヨーロッパではバンドは一般的にも親しまれ、公式選手権も盛んに行なわれており、技術的にもレベルの高い優秀な選手が現在に到るまで数多く輩出されている。
しかしながら、数十年前の日本・アジアではこのゲームがまだそれほどビリヤード界で普及されていない時代だったので、このゲームを一般的に普段から親しんでいるプレイヤーは少なく、技術面やセオリーなどもよく解からない人がほとんどだった(昔は「ワンクッション」と呼ばれていたが、現在の日本ではヨーロッパの読み方で「バンド」と呼ぶようになっている。しかし、現在でも国際的な英語標記をする場合は「ワンクッション」を使用している)。
小林伸明はバンドの実力も世界レベルだった
約35年ほど前には、新宿にあった「ヒカリビリヤード」というビリヤード場で、バンドの世界選手権日本代表選抜戦が行なわれ、突然のように小林が世界選手権で優勝を争えるような、群を抜く、飛び抜けた驚異的なアベレージでトップを取り、日本中のビリヤード界を驚かせたこともあった。
そしてその後、小林は世界バンド選手権でも実際に優勝争いに加わり、当時の世界チャンピオン・ベルギーの天才、ルド・ディリスを破るなど、第3位入賞。表彰台に上り、日本人にもバンド技術が高い、クオリティーを持ったプレイヤーが存在していることを世界に知らしめたのである。当時、3Cの世界チャンピオンだった小林はバンドでも世界トップレベルだったのだ。
当時の小林の格言を紹介すると「バンドゲームは総合力のゲーム」と表現していた。
その後暫く時は流れ、キャロムの「全日本五種目選手権」が数度開催され、その種目の中にバンドも含まれた。だが、日本ではバンドの単独の試合が無い時代が続く。そして、20年前より公式試合として地方のオープンバンド選手権及び選抜戦、そして『全日本オープンバンド選手権大会』がスタートしたのだった。
やがて、毎年オープンバンド選手権は恒例になり、16年前よりJPBF主催の『全日本プロバンド選手権大会』も始まる。2005年より若手プレイヤー参加が中心で年4回開催の「バンドゲームトライアルシリーズ」が始まるのだが、その後トライアルシリーズはスポンサーにも支援され、現在も大会運営が続いている。
近年になり、国際的には世界選手権の他にアジアでは「アジアンインドアゲームス」「東アジア競技大会」に公式競技として採用され、「アジアバンド選手権大会」も今まで2回開催されるに至っている。
念願の開催となった「第1回全日本アマチュアバンド選手権大会」(写真は上位入賞者)
そして2007年より「全関東アマチュアクラス別バンドゲーム大会」が非公式ながら初めて開催され、翌年から公式に協会行事としてアマチュアのバンドの試合が行われるようになる。同時に地方でもバンドの大会が盛んに行なわれるようにもなった。
毎年、実績が重ねられ、バンドゲーム競技人口が増加と共に地道な発展が続いて行き、ついに今年度より、日本ビリヤード協会の公式戦として地方選手権・選抜戦が行なわれ、晴れてこの度「第1回全日本アマチュアバンド選手権大会」の記念すべき開催に漕ぎ着けたという次第だ。