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ナインボール世界王者は再び海を渡る【前編】

2025.01.29

高橋邦彦、一切の妥協を許さない挑戦者

2024年シーズンの後半に自身久々となる海外遠征を行い、ベトナム、台湾で行われたwnt.ランキングイベントに3試合出場した高橋邦彦。1996年に『日本プロポケットビリヤード連盟』(JPBA)の29期生としてプロ入りして以来ツアープロとして戦い続け、今シーズンは海外戦への意欲をさらに高めながらスタートを切った、3月には56歳となるベテランプレイヤーだ。

●高橋邦彦出場海外戦(2024年)
10月1日〜4日:PERI 9-BALL OPEN 2024(ベトナム・wnt.)/193位タイ
10月8日〜13日:The Mansion Sport Hanoi Open Pool Championship(ベトナム・wnt.)/65位タイ
12月16日〜18日:3rd Universal Chinese Taipei Open(台湾・wnt.)/17位タイ

ただし言わずもがなだが、高橋はJPBAに在籍する多くのベテランプレイヤーの中だけでなく、ジャパンプールの歴史の中でも特筆すべき存在の1人だ。

1990年代前半から最強アマとして全国で名を知られる存在だった高橋は、1992年には初代となる球聖位を獲得し1995年まで4期連続で在位、1994年に名人位に就くと、翌年も防衛するなどの活躍を続け、プロ入り前から本場アメリカでの戦いにも挑み始めて1996年にJPBA入り。

その年にジャパンオープンと北陸オープンを制すると、翌年には全日本選手権を初制覇して日本のエースとなり、1998年には、当時アメリカのトップツアーであった『Camel Pro Billiard Series』(キャメルツアー)に参戦し、エフレン・レイズ(フィリピン)、フランシスコ・ブスタマンテ(フィリピン)、アール・ストリックランド(アメリカ)、ジョニー・アーチャー(アメリカ)、ラルフ・スーケー(ドイツ)ら、当時全盛期を迎えていたレジェンド達と渡り合い、その名はアメリカでも浸透するようになる。

そしてこの年の11月、台湾・台北を舞台に開催されたWPA公認の『ナインボール世界選手権』で、尊敬する先輩であり当時JPBAトップの一角であった利川章雲とともに海を渡った高橋邦彦は、準決勝でその利川を下して決勝に勝ち上がると、決勝戦ではアーチャーを13-3と圧倒して、1994年の奥村健以来2人目となるナインボール世界王者となった。

さらに12月には、初めてビリヤードが正式競技となったタイ・バンコクで開催された『アジアンゲームズ』で銀1、銅2のメダルを獲得し、押しも押されもせぬワールドトップスターの1人となった。

●高橋邦彦出場海外戦(1998年)
1月27日〜30日:ESPN Ultimate Challenge 1998 Men’s Shootout(アメリカ・招待イベント)/優勝
4月28日〜5月3日:Shooters 9-Ball Open(アメリカ・キャメルツアー第1戦)
6月9日〜14日:South Jersey 10-Ball Open(アメリカ・キャメルツアー第2戦)
7月15日〜16日:Challenge of Champions(アメリカ・招待イベント)/準優勝
8月2日〜7日:Riviera Hotel 8-Ball Open(アメリカ・キャメルツアー第4戦)
9月16日〜20日:US Open 9-Ball Championship(アメリカ)/4位
9月22日〜27日:Nashville Pro 9-Ball Open(アメリカ・キャメルツアー第5戦)
10月13日〜18日:Denver 10-Ball Open(アメリカ・キャメルツアー第6戦)
11月3日〜8日:Tulsa 9-Ball Open(アメリカ・キャメルツアー第7戦)/7位タイ
11月11日〜15日:ナインボール世界選手権(台湾)/優勝
12月6日〜18日:第13回アジアンゲームズ(タイ)/ナインボールシングルス銀メダル、エイトボールシングルス、ダブルス銅メダル

そんな高橋は、その後も日本のエースとして国内大会にも出場を続け、2000年代前半までは高いアベレージで戦っていたが、厳しいプレッシャーの中で、どんな時も一切妥協せず、命を削りながらプレーしているかのような戦闘スタイルが心身を疲弊させ、2013年、4度目の戴冠となった全日本オープン14-1選手権以来優勝からは遠ざかっている。

しかし、ここから現在まで、高橋のプールに対する情熱は全く失われることはなく、ツアーだけでなく、後進の育成やビリヤード普及にも力を注ぎながら、2023年から24年にかけて盛り上がってきたワールドプールシーンの状況の中、心身ともに戦う準備が整ってきたことで、現段階ではアジア圏限定ながら「勝つ」ための海外再挑戦をスタートさせたのだった(以下、後編に続く)。

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