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World Top Interview special アール・ストリックランド

2024.04.28

第8回 ギャンブラーは勝てない

同時代を生き、数々の激闘を繰り広げてきたフィリピンのエフレン・レイズとならび、史上最高のナインボールプレイヤーの一人とされているアール・ストリックランド。

今回のWorld Top Interview specialは、今もなおトーナメントでプレーし続けるストリックランドが、『Matchroom Pool』(マッチルームプール)代表のエミリー・フレイザーを聞き手に、ビリヤードを始めたきっかけからプロとしてのあり方までを赤裸々に語った興味深いポッドキャスト番組を翻訳・再構成。ここではその第8回をお届けする。

●ギャンブラーは勝てない

F:最も良い思い出を3つ話して頂きました。その中にはなかったんですが、あなたは殿堂入り(※)も果たしましたね。
S:それは覚えてるよ。2006年のことだ。あの時「私は変わる」と言っていたけど、結局変わらなかった。バットで殴られでもしない限り、この性格は変わらないだろうね(笑)。
【※Billiard Congress of America(BCA・アメリカビリヤード評議会)が選出するHall of fame(名誉殿堂)】

F:プールに関しては若い頃と今で変わらない?
S:いや変わった部分がある。それに関して言えば、多くの人が私のことをいまだにプールシャークだと思っていることは残念だよ。プールシャークというのは、出し抜いたり、騙したりしてお金を稼ぐ人間だ。大昔はそんなことも多少やったが今は違う人間だ。私はどちらかと言えばヘッドハンターみたいにいつもうまいプレイヤーを探していた。ビリヤードは素晴らしいゲーム。みんなが他のスポーツを愛するようにビリヤードを愛してくれたらと思ってるんだ。今はリーグプレイヤーは多くいるけど、コアなプレイヤーは70〜80年代の方が多かった気がするね。

F:何が変わったんですか?
S:ギャンブルをきっぱりやめたことだよ。アメリカのビリヤードプレイヤーのほとんどはギャンブルから始まるが、モスコー二カップでヨーロッパの選手に勝てないのは、彼らがギャンブラーではないからだ。アメリカのほとんどのプレイヤーはギャンブルをするけど、ギャンブラーは健全なプレイヤーには勝てない。だから私はギャンブルから足を洗った。

F:それはいつのことだったんですか?
S: 1988年、27歳の時にスポンサーや仲間のプレイヤーに「ギャンブルはもうしない」とアナウンスした。他のプレイヤーにも同じことをしてほしいと思っていたんだが、やはりしなかったね。自分の専門スポーツでギャンブルするような人を一般企業はスポンサードしないだろう。私には40年前から将来がどうなるか見えていた。1984年、23歳の頃にもトーナメント前のプレイヤーズミーティングで言ったんだ「プロプレイヤーならギャンブルをやめるべきだ」ってね。皆が「こいつ何言ってんだ」って顔で見てたよ。「もし20〜30年後に一般企業にスポンサーになってもらい、何百万ドルもの賞金を得たいのなら今すぐギャンブルを辞めろ」と言ったんだ。これを言ったおかげで「足の骨を折るぞ」とか脅されたりもしたよ。そんなことがあったにもかかわらず、世間の人は私をプールシャークだと言ってる。一度そういった烙印を押されてしまうと変える事はできないんだ。何故かわからないけど。

F:何か後悔していることはありますか?
S:何もないね、やり直せるとしても全て同じにするな。あ、一つだけ、お金を貯めておくかな。お金に無頓着すぎたし、気前よくしすぎた。だから今お金がないんだ、億万長者じゃないって意味だけどね。ミリオンダラーに届きそうだったこともあったけど、その後で全て失った。でも最近はレッスンやエキシビジョンでちゃんと稼いでいて健全だよ。モスコーニカップのギャラも入ったしね。

F:お金があったら何に使いたい?
S:もしお金をしっかりセーブできていたら、5x10フィートのテーブルでショットクロック20秒のトーナメントを開催するね。選手にテーブルの周りを走らせるんだ。プレイヤーをアスリートにしないとだめだよ。それをやるには4.5x9フィートじゃ小さすぎるからね。

協力/Matchroom pool、翻訳・構成/森覺摩

第1回 ビリヤード愛がプレーの源
第2回 ギャンブルからトーナメントへ
第3回 少年時代のテニスと家出
第4回 世界選手権とモスコーニカップ
第5回 モスコーニカップの思い出
第6回 モスコーニカップの思い出
第7回 9フィートとジャンプとUSオープン

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