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World Top Interview special アール・ストリックランド

2024.04.06

第6回 100万ドルゲットとロードの思い出

同時代を生き、数々の激闘を繰り広げてきたフィリピンのエフレン・レイズとならび、史上最高のナインボールプレイヤーの一人とされているアール・ストリックランド。

今回のWorld Top Interview specialは、今もなおトーナメントでプレーし続けるストリックランドが、『Matchroom Pool』(マッチルームプール)代表のエミリー・フレイザーを聞き手に、ビリヤードを始めたきっかけからプロとしてのあり方までを赤裸々に語った興味深いポッドキャスト番組を翻訳・再構成。ここではその第6回をお届けする。

●100万ドルゲットとロードの思い出

F:さて、あなたが100万ドルのために10連続ブレイクランアウトを達成したことについて話してください。
S:あれは運が良かったんだよ、本当にね。企画した人たちは保険会社に行って「賞金100万ドルのビリヤードイベントをやりたい。10回連続でブレイクランアウトができるかどうか」って言って、保険会社はそれを評価をして「1千7百万対1のオッズだね」と言ったようだった。彼らはブレイクエースを知らなかったんだ。この挑戦で私は3回エースを出した。私は上手くプレーしたけど、それ以上に運があったね。とは言え、練習もしっかりしたし、練習中にあることを思いついたんだ。

F:どんなことを?
S:大きなタオルで素早くテーブルの表面とボールをきれいにしてからブレイクしたんだ。それをラックの合間にやって10ラック連続を達成した。テーブルやボールの汚れで予想外の事が起きるのを防いだんだ。ちょうど今TVテーブルでやってるような感じだね。

達成した1996年にはアメリカの『Billiards DIGEST』誌の表紙を飾った

F:ビリヤードのことになると本当に深く取り組みますね、何があなたをそんなに夢中にさせるんでしょう?
S:前にも言ったけど、ビリヤードプレイヤーはどんなスポーツでも上手く出来るだろうね、特に私のようなマインドを持っていればね。全てのビリヤードプレイヤーとは言わないけど、殆どはそうさ。ビリヤードは素晴らしいゲームだよ。もとを辿ればギャングのゲームだったりたちの悪い人間のゲームだったりするけどね。見てる分には簡単に見えるけど、他のスポーツのプレイヤーで、ビリヤードが上手い、そうだな、3、4連続でブレイクランアウトできるとか、ストレートプール(14-1)で50点のランを出すとかは聞いたことがない。ビリヤードは他のどんなゲームより難しいと思うよ。

F:今まで色々な場所に行ってきたと思いますが、旅を一緒にした中で楽しかった人は誰ですか?
S:何人も居るけど、一番は年取った黒人男性。彼はある日ロードプレイヤーを連れて私のビリヤード場に来て、私は50ドル負けた。2週間後に黒人男性一人で戻ってきて、「ロードプレイヤーはどうしたの?」って聞いたら「賭け球をしにきたんじゃないんだ、お前と話がしたい。お前は、私が見た中で最高のプレイヤーだ。12歳でこんな素晴らしいプレーをする奴を見たことがない。お前をつれて他の街を回りたいんだ。親に話させてくれないか?」と言ったんだよ。そのあと本当に親を説得して、一緒に旅することにしたんだ。彼は色々教えてくれたよ。1年ほどで別れたけど、彼は私が歴史上一番のプレイヤーになれるだろうと言ってたよ。12歳の子供にだよ。彼はスカウトみたいだよね。楽しい男だったね。

F:それからはもう会ってないんですか?
S:いや、15歳の頃トーナメントで彼に再会したけど、別れたことを怒ってたね。私に「上手いと思ってるんだろ? 俺と賭け球するか」って挑んできた。だから「俺とプレーしたら負けるから止めたほうがいいよ、思ってるよりずっと上手くなってるから」って言ったんだ。そうしたら、それは「シカゴ」と呼ばれる古いゲームなんだけど、「15個のボールでブレイクして、おまえがミスしたら負けでどうだ」と。私は言った「私には勝てない」。彼は言った「おまえは勝てない」。彼は私を脅し、「立て、プレーしろ、臆病者め」って、周りのみんなを煽って私に罵りを浴びせたんだ。私は言った「わかったよ」。で、私は彼から500ドル勝った。私が彼に勝った後、彼は何も言葉を発することができなくなってた。私にとっては悲しい日だった。でも彼は好きだったし、彼との時間が旅した中で最も貴重な日々だったよ。

協力/Matchroom pool、翻訳・構成/森覺摩

第1回 ビリヤード愛がプレーの源
第2回 ギャンブルからトーナメントへ
第3回 少年時代のテニスと家出
第4回 世界選手権とモスコーニカップ
第5回 モスコーニカップの思い出

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