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World Top Interview special アール・ストリックランド

2024.04.03

第5回 モスコーニカップの思い出

同時代を生き、数々の激闘を繰り広げてきたフィリピンのエフレン・レイズとならび、史上最高のナインボールプレイヤーの一人とされているアール・ストリックランド。

今回のWorld Top Interview specialは、今もなおトーナメントでプレーし続けるストリックランドが、『Matchroom Pool』(マッチルームプール)代表のエミリー・フレイザーを聞き手に、ビリヤードを始めたきっかけからプロとしてのあり方までを赤裸々に語った興味深いポッドキャスト番組を翻訳・再構成。ここではその第5回をお届けする。

●モスコーニカップの思い出

F:モスコーニカップの特徴でもある観客について聞かせてください。観客と言い争ったり、昔の試合を見ると、あなたに対する一部の観客の態度は悪かったですよね、特にロンドンでは。去年のアメリカではそんなことはなかったですが。やりづらいと思ったことはありますか?
S:イギリス人の皮肉はアメリカ人と違い辛辣だよね。アメリカ人のは愛想があるんだけどね。イギリスでモスコーニ勝つのはアメリカで勝つより大変なのは確かだね。何時も苦労させられるよ。イギリスの観客は気に障ること言ったり、本当にこっちのメンタルを揺さぶるのが上手いんだ。忘れられないのは、ミスをすると首を絞められた鶏みたいな声を出されたこと。その年は他にも色々鳴らしてたな。

F:そういった観客に実際影響されてました?
S: 最初はね、しばらくすれば気にしないようになるけど。気にしてたら勝てないからね。いつもビリヤードはゴルフのように静かであるべきだと思っていたけど、そのライダーカップは今やモスコーニカップのようになってきてるよね。「ああ、お前は帰れ、もう前に一度やっつけた」それが初めてモスコーニに行った時に、一人の男が私に向かって叫んだ最初言葉だった。「前にお前をやっつけた、また倒すぞ!」と言われた時は、そんな言葉を聞いたこともなかったから、本当に殺したくなったね。でも、彼らはアメリカ人よりも熱かったよ。まあ最近、アメリカもやり返しているようで、それは素晴らしいけどね。

F:最近、バリー・ハーン(※マッチルームスポーツの創立者)とスティーブ・デイビスにモスコーニカップについて質問しました。そして、スティーブは最高の思い出の一つがモスコーニカップとあなたとのことだと言いました。彼とのライバル関係はあったんですか?
S:スヌーカーから来て、彼はある年モスコーニを勝ち取った。でも、言っておくけど、私はその試合に勝つチャンスがあったんだ。でも、出られなかった。その週は病気だったんだ。25セント硬貨ほどの大きさの腎臓結石で血尿も出てたし、本当に具合が悪かった。でも、私はカップを逃したくなかった。もしカップを逃すことになるとわかっていたら、私は結石を抱えて泳いでここにやってきただろう。でも、その年は病気だったから出るべきではなかったし、あの勝利はスティーブ達の功績だった。

F:モスコーニカップで特に印象に残る思い出は?
S:良い思い出はMVPプレイヤーだった時だね。そう、それはおそらくヨークホールでやったんだと思う。王冠みたいな形で、バルコニーがあって上から見下ろすような。まだ残っているのかな? 

F:ええ、まだありますよ。
S:モスコーニカップの会場としてはちょっと小さくて、ちょっと気味悪い場所でもあったね。でも、モスコー二で、最後の9ボールを決めるのは良い気分だね。そして、チームメイトがおめでとうと押し寄せてきて、踊り回ってそれを楽しむ。みんなと握手して。でも、最高の瞬間は、何年だったかは思い出せないけど、もしかしたら君が知っているかもしれない……私はモスコーニカップの年に関してはあまり詳しくないんだ。それでも、私が一度だけキャプテンで、12対1で勝った時が一番だと思う。

F:2001年のロンドンね。
S:これは忘れられない思い出で、バリーが私のところに歩いてきて「君は全く天才だ」と言った。それが彼が私に言ったことだ。そして彼は私をもう二度とキャプテンにしなかった。それには理由があったと思う。あの年、私たちは彼らにフォーマットに欠陥があることを気付かせたんだ。それは、この年のように、最終日を前に試合が終わってしまうこと。最終日の日曜日をバリーはまるごと失った。彼が失ったお金はかなりのものだったんじゃないかな。だから彼はそれが再び起こりうると気づいてフォーマットを変更したんだ。だからこれは起こってよかったことだよ。それが私の最も有名で、お気に入りの瞬間だと思う。私たちが12対1で彼らを倒した時、私がキャプテンだった時のことさ……。

協力/Matchroom pool、翻訳・構成/森覺摩

第1回 ビリヤード愛がプレーの源
第2回 ギャンブルからトーナメントへ
第3回 少年時代のテニスと家出
第4回 世界選手権とモスコーニカップ

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