14-1愛好家が玉のみやこに大集合!
去る10月6日(日)、京都市の『サンク』(予選は市内4店舗を併用)において『第6回14-1サミットオープン』が開催された。14-1サミットは全国の14-1ラック愛好家有志で発足した愛好家団体。過去5度の大会開催を経て、今年はオープン戦として規模を大きくし、また前日の土曜日には『京都14-1研究会』とのコラボ研究会と親睦会が催されるなど、拡大版的なイベントとなった。
会場となった『サンク』
このオープン戦の主催は『14-1サミット実行委員会』。その代表を務める矢木淳史氏は、京都14-1研究会でも精力的な活動を行っている熱心な愛好家。そして自身が経営する株式会社マルサン・クリエイトがメインスポンサーとして協賛を行い、今回の大規模なイベント開催が実現したという次第だ。
14-1サミット実行委員会代表:矢木淳史氏
ここで14-1ラックの国内事情に少し触れると、日本では現在も『全日本14-1オープン選手権』のみが唯一の14-1種目で競われる公式戦で、プロ選手でも競技に精通しているプレイヤーが多くはない状況にある。一方、台湾ではエニーボールゲームということで、初心者が最初に触れる種目として定着していると言われ、また欧米ではこの種目の大会も安定開催されていて、ポケットのプレイヤーであれば嗜みの範疇にある。そして手球のコントロール、組み立ての魅力、そしてハイランへの挑戦など、ポケット愛好家であれば惹き込まれる要素がぎっしり詰まった種目でもある。そんな魅力に陶酔したメンバーたちが、国内で地域を超えたネットワークを築いたのが14-1サミット実行委員会という流れだ。
さかのぼると日本のポケットはローテーションに始まった。今でも京都の玉屋で看板やトロフィーなどに「ロー式」という文字を見かけることがあるが、これはロー式=ポケットであった時代を示すもの。ローテーションを大人数でプレーするスタイルが一般的であった。そこに現在も名残りのあるジャパンナインと呼ばれる奇数を点球とするナインボールが普及して、後に9番を落とすと1ポイントが得られる現在のナインボールが大会種目として採用されるようになった。こうして振り返ると、日本のビリヤードは独自の路線を歩んで進化してきたことが確認できる。
左から井上淳介氏、藤間一男氏、浪江隆氏、藏之前忠勝氏
そして藤間一男氏(JPBA1期生)がプロとしてアメリカへ遠征した際に14-1ラックの試合を体験し、持ち帰ったのが日本の14-1の始まり。その後はJPBAの月例会(マンスリー)にも同種目が採用されて、ポケットが盛んであった関西の都市などで『14-1研究会』が発足し、井上淳介氏、浪江隆氏、藏之前忠勝氏ら(以上、年齢順)が熱心な愛好家として会を牽引し、後進の育成に尽力した。前置きが長くなったが、今回は藤間、井上、浪江、藏之前の四氏に対して、実行委員会から功績を讃え記念品の贈呈が行われた。これには「関西圏で14-1種目の発展に大きく貢献したメンバー」として異論の出ないメンバーであろうという声も多く聞かれた。
飯間智也
さて、試合に話を向けると、フォーマットは70点(アマチュアA級・女子プロ60点、アマB級50点)先取。まず4人1組のグループリーグで予選を行い、1位通過を果たした19名が決勝会場へ集結。その内訳は現役プロ7名(内、1名女子プロ)、アマチュア10名、元プロ2名という布陣に。ここで気を吐いたのは愛知から参戦した和田敏幸(JPBA)で、竹中寛、清川正士、黒田祐介という関西のプロたちを連破して決勝戦へ駒を進める。一方の山からは本命格の一人と目された飯間智也がアマチュアを力でねじ伏せて階段を登ると、準決勝ではここまで14-1に精通した上手さを見せて勝ち上がってきた木田達矢(吹田中央)をも2イニング決着と圧倒してファイナルへ。
14-1サミットオープン優勝:飯間智也(左)、準優勝:和田敏幸(右)
東海の刺客vs関西最後の砦。そんな和田と飯間のファイナルは、飯間がこのゲームも4イニングで終わらせて、長年にわたって研究会で研鑽して積み上げた実力を誇示する優勝を飾った。なおハイラン賞も飯間が獲得。「もっとランを出したかった」と自身のプレー内容に厳しい採点をした様子だったが、「これで(自身が大阪にオープンした『ビリヤードジムamii』の)家賃の半分が出ます」と、笑顔のコメントで締めた。主催・運営にあたった矢木氏も「皆さんのお陰でフルエントリーという盛況な大会となりました。来年も場所は未定ですが、14-1サミットは継続開催していきますので、今後ともよろしくお願いします」と謝辞とともに盛会を喜び笑顔の挨拶で締め括った。国内14-1界で新たに派生した系譜は力強く歩みを強めている。
by Akira TAKATA