ウェブキューズはビリヤードの全てがわかる総合情報サイトです。

Chapter 30 翔vs雫

2022.07.07

作/Donato La Bella 文/渡部嵩大 監修/関浩一

第30話

朝の7時になったのを見て、すみれは翔が起きたかを確認しに部屋へと向かった。彼女自身は試合に出場こそしないものの、2人にとっての大切な試合とあって緊張感を持っていた。ところが、何度ドアをたたいても翔からの返事はなかった。試しに龍の部屋にも寄ってみたが、やはり中身は空のようだった。すみれはしばらくおかしいなと思っていたが、彼らがいる場所はすぐにわかった。

ホテルの階段を一番上まで駆けあがり扉を開け放つと、外から風が吹き込んできた。その先に、2人の姿があった。
「やっぱり! 変らないなぁ」
すみれは優しく微笑んだ。翔は両手を広げて全身で風を受け、その様子を見て龍は笑っていた。すみれに気付いた2人は曇りのない笑顔を向けた。
「まったく! もう行く時間だよ!」
ついに、決戦の日がやってきた。

ロビーに降りると、3人は驚きの声を上げた。そこにはなんと明の姿があった。ジャパンオープンの最終日を観に来たのだった。翔と龍にとって、師匠がすぐそばにいるというのは心強かった。
「さあ、行こう!」

会場に到着すると、選手の多かった前日以上に観客の数が増えていた。それに加え、マイクやカメラを抱えた取材陣も多く、いかにこの試合が注目されているかを示していた。
「目当てはやはり雷なのだろうな。ただの1ゲームも落とさずに、世界の名だたる試合を制覇している。人々が目を付けないはずはないというものだ」
明は感情を表に出さずに淡々と言った。
翔と龍はお互いの目を見合わせた。彼らの集中力は高まっており、すでに戦いは始まっていた。

中へ進むと、龍はすぐにファンとカメラに囲まれた。記者たちは次々に質問を投げかけた。
「今日の意気込みを教えてください!」
「鷹上雷選手と一緒に育ったというのは本当ですか?」
しばらくの間、龍はその場から動くことができなかった。隣では、同じくトーナメントを勝ち残っている滝瀬雫がテレビの取材を受けていた。試合にあわせて髪型を変えた彼女は凛として佇み、眼差しは真剣そのものだ。
「ベスト4に進むと同じ道場出身のケヴィン選手と当たる可能性がありますが、特別な思いなどはありますか?」
雫の初戦の相手は翔だが、翔はこれまで注目されるほどの結果を残していないため、2回戦以降が注目されていた。
翔は自分だけが相手にされず、少し拗ねた様子だった。そんな翔をすみれは微笑ましく思っていた。
「ねぇ、その方が良いよ。変なプレッシャーは少ないほうが本領発揮できるでしょ? 翔の本当の価値は今日の試合で証明すればいいんだよ!」
明は深く頷いた。
「そうだ、翔。すみれの言う通りだ。今日勝てば嫌でも注目の的となる。そのために大事なことは、お前が楽しんでプレーをすることだ。これまでもそうしてきたようにな」
翔が2人の言葉をかみしめていると、後ろから聞きなれた声が近付いてきた。
「す、す、す、すみません、すみません!」
走ってきたのは太郎だった。普段ならば真っ先に翔に話しかけてくるが、今日の目当ては違うようだった。興奮で顔を紅潮させ、太郎は詰まりながらも言葉を続けた。
「も、もしかして、あなたは、た、た、鷹上、あ、明選手!? まさか、そんな……!」
にやっと笑った明を見て、太郎は確信した。
「う、あ……信じられない……あなたは僕にとってのヒーローです! まさか直接お会いできる日が来るとは……! 人生で最高の日です! ぜひサインをください!」
「ははは、サインだなんて久しぶりだなぁ!」
明は選手時代を少し懐かしみながら、快く引き受けた。

ついに決戦の火ぶたが切られた。ベスト8から始まる最終日は全て9先で、交互ブレイクのルールは変わらない。

テーブルの1つでは、鷹上翔と滝瀬雫の試合が始まろうとしていた。バンキングは雫が勝ち、開幕のブレイクを放った。

雫は常に水の精霊を纏い、一切の乱れがない。流れに身を任せるように歩調を合わせ、途切れなく球を落としていく。
一方の翔も、ブレイクしたゲームを順調に取っていた。4ゲーム目では⑩に出す手球をやや強く撞きすぎたが、それでも⑩を入れ、マスワリを決めた。試合は2-2となった。翔は席に戻ると、簡単な球のコントロールがなぜ乱れてしまったのかを考えた。昨日までよりラシャがやや早いのだろうか? とりあえず、今はまだ必要以上に心配しないことにした。

雫は3回目のブレイクをし、変わらず安定したプレーを始めた。しかし、観客は少しずつ違和感に気付き始めた。すでに見たはずのプレーなのだ。ブレイクによって配置された的球の位置も、手球のコントロールも、雫の動きさえも、全てが1、2ゲーム目と同期していた。あまりに鮮明な既視感は、過去を繰り返す幻術のようであった。当然ながら翔も気付いていた。雫は手球の位置を全く外さない。⑩を同じポケットに入れ、3-2とした。
いったい何が起きているのか、翔にも観客にも知る由はなかった。

ページトップへ
×