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Chapter 29 最終日を前に

2022.06.09

作/Donato La Bella 文/渡部嵩大 監修/関浩一

第29話

2日目の試合が全て終了し、選手らはアリーナを後にした。先ほどまで闘志と熱気に包まれていた会場には人の姿もなく、ビリヤードテーブルだけが整然と並んでいた。嵐の後の静けさのように、どこまでも静寂が広がっていた。
翔、龍、すみれの3人はホテルに戻る道中、ラーメン屋で食事をしていた。すでに2日連続で試合が続き、彼らには多少の疲れが見えたが、それでも翔は元気よく振舞っていた。チャーシューを頬張りながら今日の試合について楽しそうに話していた。

翔は龍の衝撃的なブレイクショットが頭から離れない一方で、龍の状態については少し心配していた。龍が明日の初戦に勝てば、次の相手はおそらく雷となる。本当はすぐにでも兄と手合わせをしたかったが、こうなっては龍を応援するしかない。龍が雷を意識しないはずがなかった。

夕食を終えると、3人は直接ホテルに戻った。翌日に向けてのプレッシャーは徐々に大きくなり、3人の口数は少なくなった。そしてホテルに入る直前、龍がふと立ち止まった。2人は龍を振り返った。
「どうした?」
龍は言葉を選ぶように少し時間をかけてから、口を開いた。
「翔、今まではっきりと言ったことはなかったけど、明日は大きな戦いが控えてるから、今しかないと思って言うことにした。俺はこれまでお前がしてきてくれたことにすごく感謝してる。もし師匠やお前に会ってなければ、こんな燃え上がるような人生には出会えてなかった。そして、イグニフェールとも決して会うことはなかった。だから、明日は雷を正しい道へと引き戻すために全力を尽くす」

翔を真正面から力強く見つめ、龍は笑った。
「明日の俺は本気だ!」
翔も一切目をそらさず、龍を見据えていた。
「龍、俺はいつもお前のことを友達以上の存在だと思ってた。家族だと思ってた。俺だって龍がいなけりゃ、今の俺にはなれなかった。明日の戦いはただの試合じゃない。この日のために俺達はずっと修行を続けてきた。誰よりも頑張ってきた、だからこそ明日はいつも通りでいいんだ。俺達は1人じゃない、お互いがいる。一緒に乗り越えよう!」

2人は拳を突き合せた。その姿を見てすみれは微笑んだ。風が髪を優しくなびかせた。

それぞれの部屋に戻った後、龍は大浴場へと向かった。サウナで腰かけながら、彼は身体の状態を振り返った。
「腕が痛い……。一度しか使わなかったのに。雷を倒すために最低7回はブレイクしないといけない。翔を失望させる訳にはいかない。明日は全てを出し切る……!」

一方、翔はとても落ち着いてはいられず、街中へと走りに出かけていた。2日間戦い続けても、調子の良い感覚に包まれていた。体は俊敏に反応し、気持ち良く駆けていた。夜風が肌を撫で、ネモスが上空を飛んでいる。翔はネモスの存在に安心感を覚え、笑顔になった。最終日を前に心配は過ぎ去り、心地良い緊張感が彼を後押しした。1時間ほど走ったあと、ようやく翔はホテルへと戻った。

ひと時の運動が功を奏し、翔は感覚が研ぎ澄まされていた。明日への備えも万全だった。突然誰かが彼の部屋の扉をたたいた。
「こんな時間にいったい誰だ?」
鍵を開けると、そこにはすみれが立っていた。しかし、いつもとは印象が違っていた。浴衣を身にまとい、少し濡れた髪が艶めいていた。翔はほんのりと赤くなった。このようなすみれの姿は今まで見たことがなかった。

すみれはいつもより少し恥ずかしそうな様子だった。
「はい、これ。こんな時まで走りに行くなんてやっぱりバカなの? お腹すいたら寝られないでしょ?」
そう言うと、翔の手におにぎりを渡した。すみれに見とれていた翔は我に返りお礼を言った。
「あの、明日頑張ってね」
「あ、ありがとう」
すみれは名残惜しそうに手を振ると、部屋に戻ろうとした。
「あ、あのさ!」
その直前、翔は彼女を呼び止めた。
「それ似合ってるよ。とっても似合ってる」
すみれは嬉しそうにほほ笑むと、翔に近づき、おでこを指で小突いた。
「な、何言ってんのよ。明日絶対勝ってね! おやすみ!」

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