Chapter 28 龍の精霊イグニフェール part 2
作/Donato La Bella 文/渡部嵩大 監修/関浩一
第28話
イグニフェールのおかげで龍は自分自身への信頼を取り戻した。修行を終えた瞬間からイグニフェールは彼の隣にいたが、今彼は初めて自らの意思でその力を使おうとしていた。7ゲーム先取で4-6と龍は劣勢に立たされており、わずかなミスさえ犯すことが許されない状況にいた。イグニフェールは龍の懸念を理解し、彼に話しかけた。
「今はそのようなことを考える時局ではない。断固とした決意をもって、達成すべき目標のみを目指すべきだ。今こそ勝利を我が物にする時だ!」
イグニフェールの言葉は龍の頭の中でゴロゴロと鳴り響き、龍の闘志にさらに大きな炎を灯した。およそ人間には到達できないほどの強さと気力を龍は与えられた。龍はブレイクの構えに入ると、わずかに目線を上げてラックが整っていることを確認した。そして軽く息を吸うと、右手を振り抜いた。その刹那、イグニフェールが龍の腕を押し出すように咆哮を上げた。
龍は並外れた力を発揮したが、体のバランスが崩れることはなく、キューの先端が手球の芯を完璧に捉えた。時速90km以上もの目にも追えぬ速さで手球は放たれ、次の瞬間には真上に打ちあがっていた。あらゆる方向に飛び散った的球は次々とポケットに吸い込まれ、あっという間にテーブルの上は②と⑩のみが残された。
宙に舞った手球がようやく戻り、つんざくような音を立ててテーブルに着地した。観客はあっけにとられ、ただ呆然としていた。常人の理解を超える現象が一瞬のうちに起こっていた。そのような反応などどこ吹く風の龍がサクッと②と⑩をポケットしたところで、ようやく歓声と拍手が沸き起こった。一角に陣取っていた龍のファンクラブの面々からは黄色い声が響いた。相手に向いていたゲームの流れを龍は一気に引き戻した。
「こ、これは……! あまりにもすごすぎます! 人が球を思いっきり投げたのと同じくらいのスピードではないですか? 体はあれほど安定しているのに、全く信じられないスピードです!」
すみれはうなずき、翔はあっけにとられて文字通り開いた口がふさがらなくなっていた。
龍は席に戻った。この1ゲームが流れを変えたことは確かだったが、次のブレイクは相手のターンであり、ここを取られてしまうと龍は負けてしまう。龍はターンが回ってくることを祈るしかなかった。渋谷は冷静に試合を見ていた。先ほどのブレイクに動揺していることは確かだったが、一方で、すでに起きてしまったことにとらわれていても仕方がないことを経験的に知っていた。相手に流されないよう渋谷は自分を落ち着かせ、あえて時間をかけてブレイクをした。ラックはきれいに割れ、マスワリも十分可能な配置が整った。
渋谷は⑦まで順調に球を減らし、観客の多くは彼の勝利を確信した。ところが、手球の配置も全く問題なかった⑧で彼は不可解なミスショットをした。渋谷自身、何が起こったのかを理解できなかった。
「おかしい、今のショットには何の問題もなかった……完璧だったはず!」
彼はふと思い立って、席に戻る前にテーブルの表面を確認しに行った。目を近付けるにつれ、何か異変を感じていた。そして手でラシャに触れると、途端に全てを理解した。
ラシャが張られているため、見た目だけではわかりにくかったが、そこにはくぼみがあった。そして、その地点はまさに龍のブレイクが着地したところだった。
「信じられない……」
渋谷は長年にわたってビリヤードのありとあらゆる経験を積んできたつもりでいたが、このようなことが起ころうとは全く思いもよらなかった。そして、そのようなミスを誘い出す龍に空恐ろしさを覚えた。
龍は危なげなく残りの球をポケットし、6-6と追いついた。どちらが勝ったとしても最後のゲームとなる13ゲーム目は龍のブレイクで始まった。流れが自分に向いていることを理解し、龍がこれ以上イグニフェールの力を使うことはなかった。テーブルのくぼみの位置を把握している彼はミスをすることもなく、あっさりと最終ゲームを取り、最終日へと駒を進めた。
ジャパンオープンに集ったエレメントの使い手らは1人も欠けることなく残った。それはエレメントの力がいかに強大であるかの他ならぬ証拠でもあった。日も沈んだころ、ベスト8の対戦表が発表された。