Chapter27 龍の精霊イグニフェール
作/Donato La Bella 文/渡部嵩大 監修/関浩一
第27話
圧倒的な勝利を収めた雷が送った挑発的な視線は、会場にいるエレメントの使い手らの闘志に火を付けた。相手を続行不可能にする戦い方は選手として看過できる一線を越えており、好き勝手にさせることはできないという危機感が彼らの中には芽生えていた。この日は全員が1試合を残していた。初日と比較して残っている選手のレベルは確実に上がっており、わずかな気のゆるみさえも命取りになってしまう。張り詰めた緊張感が会場を支配していた。
いまだ1セットも落としていない雷に対して、翔、龍、雫、ケヴィンは一筋縄では勝てなくなってきていた。常に集中力を保ち、エレメントを使うことで苦労しつつも勝ち進んでいた。その中でも龍は、特に苦戦しているような表情を浮かべていた。徐々に精霊の力を借りていた3人とは違い、龍は一度も彼の精霊、イグニフェールに助けを求めていなかった。当然のことながら翔は龍の悩んでいる姿に気づき、心配になった。最後の試合が始まる前、翔は龍に声をかけてみた。
「あんまり積極的にエレメントを使ってないみたいだけど、調子でも悪いの?」
「心配するなよ、翔。あいつはちゃんと俺の隣にいるよ。明日のためにも今はまだ温存してるだけだ」
「あっ、そういうことだったのか! 必殺技は一番最後に使うってか! それいいね!」
翔は両手から何かを発する必殺技のポーズを真似した。
翔の和やかな反応に龍の表情は少しほころんだが、すぐに自分の利き腕を気にした。何かを隠すような不自然な動きに翔と、隣にいたすみれは気が付いた。しかし、龍が問題ないと言っている以上はどうすることもできず、2人は気付かなかったふりをした。
「翔、気付いた? 龍どうかしたのかなぁ」
「うーん、よくわからないけど、龍の持ってる火のエレメントはただでさえ強いから、やっぱり体への負担が大きいんじゃないかな。龍の試合が最初にあるから、とりあえず応援しに行こうよ!」
「うん、そうだね!」
歩き始めると、突然翔のお腹が鳴った。すみれは待ってましたと言わんばかりに、抜かりなく用意していたおにぎりを手渡した。翔は無邪気に喜びながら、急いでおにぎりをほおばった。その様子に気が付いた太郎が小走りでやってきた。
「お久しぶりです、翔くん! お変わりないですね」
「よう、太郎!」
「こら、太郎さん、でしょ。お久しぶりです」
すみれは翔を軽くたたきながら、ニコッと笑った。
「ははは、大丈夫ですよ。気にしないでください」
「ところで太郎さん、龍の次の相手について何か知りませんか?」
「もちろん知っていますとも! 渋谷剛毅はベテランと呼ばれる選手の中でも、最も腕のいい選手の1人ですね。この試合はきっと素晴らしいものになりますよ! 達人vs新世代といったところでしょうか。楽しみだなあ! 僕も龍くんの健闘を祈っています」
「龍の対戦相手はかなり強いみたいだな」
「もっと前に行って見ようよ。なんだか嫌な予感がする……」
龍がバンキングに勝利し、彼のブレイクから試合が始まった。勝ち残っている選手が減っていくに従い、1つの試合に集まる観客は多くなっていた。3人はやっとのことでテーブルに近い場所と確保した。太郎は早速自分のノートを確認すると、まだ試合が始まったばかりなのにも関わらず、違和感に気が付いた。
「何かがおかしいなぁ」
「どうしたんですか?」
「ジャパンオープンが始まって以来、龍くんのブレイクの威力が徐々に弱まっているみたいです。すでにこの同じテーブルで3回試合をしているはずなので、彼ならラシャのコンディション等は十分理解しているはずです。試合を観ている限り、調子が悪くなっているわけでもなさそうなので、意図的にパワーを落としているのでしょうか?僕は彼のプレーを2年間見てきましたが、ほとんど力のいらないブレイクを見たのは初めてです」
翔はおにぎりの包みをポケットに押し込み、急に真剣な表情になった。
「龍が好んで弱めのブレイクを使うはずがない。たぶん自分の中で、何か精神的な抵抗があるんじゃないか」
ブレイクを除けば、龍は2-2とひとまずの内容で試合を進めていた。相手のプレーを見ている間、龍は集まった観客を意識から遠ざけ、瞑想をするように目を閉じた。頭の中で咆哮のような声が龍を問い詰めた。
─―なにゆえ俺の力を拒むのか
龍ははっと目を開き、立ち上がるが、今度も精霊の力は使わないという選択をした。龍の中では考えが渦巻いていた。
「俺が今、イグニフェールの力を使うのは1日に3回が限度だ。それ以上になると腕が壊れてしまうかもしれない。今俺がすべきことは、落ち着いて戦うことだ。むやみに力を使ってはいけない。俺はあいつの力に頼らずとも勝てるんだ」
龍は自らを落ち着かせるように言い聞かせた。しかしイグニフェールは再び声を荒げた……。
ゲームは4-4となった。
ここまで龍も相手もほとんどミスを犯すことなく戦っていた。残りのゲーム数が少なくなり、1つのプレーの重要性がさらに増していた。龍は精霊の力を借りるべきかますます迷っていた。悩みを抱えたまま球を撞いてしまった彼は、なんと手球をスクラッチしてしまい、そのまま相手にゲームを2連取されてしまった。
座って試合の進行を眺めている間、龍はイグニフェールの声に耳を傾け始めた。
「他人に隠していることを、この私に対しても隠し通せるとはゆめゆめ思うな。私はお前の心に宿っているのだ。お前が恐れているのは、腕が壊れるなどといったことでは断じてない。お前が恐れているのは、鷹上雷といった奴のようになってしまうことだ。お前は自分が自分でなくなることを恐れている」
火の精霊は一息つくと、少し優しさのある声で言った。
「そのようなことを恐れる暇があるならば、お前の友の声に耳を澄ませるがいい」
次の瞬間、声の主が消えたかのように、龍のもとに静けさが戻ってきた。龍の目の前に、色のついた世界があらためて広がった。龍が真っ直ぐ目を向けた、その先には、こちらを見つめる翔の姿があった。彼は全身で龍に向かって叫んでいた。
「行けぇぇぇぇ!」
その声は確かに龍に届いた。龍は一度目を強く閉じ、かっと見開いた。瞳に炎が渦巻いた。