Chapter13 雫 vs 雷
作/Donato La Bella 文/渡部嵩大 監修/関浩一
第13話
日は変わり、北海道オープンは決勝の日を迎えていた。初日を勝ち残った選手らが続々と集まり、各々試合に向けての準備を始めていた。その中には当然雫とケヴィンの姿もあった。周りと同じように2人も試合に向けて集中力を高めようとしていた。しかし、それを妨げるものがあった。それは、昨日の雷との出来事だった。
今まで自分達はエレメントの習得を目標に定め、疑うことなく突き進んできた。エレメントこそがビリヤードの高みであると信じていた。しかし、雷の本当の姿を垣間見た今、エレメントに対して抱いていた像が崩れ始めていた。
「本当はエレメントのことなど、何もわかっていなかったのではないだろうか」
次の試合に向けて気持ちを切り替えなければならなかったが、不安は決して脳裏から離れなかった。
この日の初戦、ベスト16の呼び出しが始まった。雫、ケヴィン、そして雷が最初から対戦することはなく、それぞれ別のテーブルでの試合となった。トーナメントが進み、試合数も減ってきたため、太郎君はお目当ての3選手全員を観戦することができた。
最初の一斉ブレイクが済むと、彼はそれぞれの試合に順番に目を向け始めた。そしてしばらくしてから、雫とケヴィンの様子がいつもと少し違うことに気付いた。普段と比較して、2人がやや落ち着きを欠いている印象を受けた。視線が時折自分の試合から離れ、他のテーブルが気になっているかのようであった。雷選手なのだろう、と太郎は確信していた。
普段非常に落ち着いたパフォーマンスを見せる雫やケヴィンがなぜこれほど動揺を見せているのかはわからなかったが、これまで見てきたどの選手と比べても雷が異質であることは昨日の試合で気付いていた。
ただ、やはりプロはプロだと太郎は思った。他のテーブルに気を取られていようとも、試合は順調に進んでいた。雫は前のゲームを取り、ブレイクショットを終えたところだった。手球はセンタースポットの近くに残り、次の的球が問題なく配置されている絶好の形となった。ここから雫は普段のペースで順調に的球をポケットしていったが、途中で太郎はあることに気が付いた。
それは、毎回的球がセンタースポット付近に戻って止まっていることだった。例のごとく話し相手を見付けた太郎は語り始めた。
「初めは意図しているのかよく分からなかったんですが、雫選手は今手球を必ずセンター付近の同じ場所に戻していますね。センターからであればほとんどの的球をポケットできるので、これは合理的だと思います。派手な技ではないので気付かなかったんですが、さも当然のように安定して手球をコントロールするというのはとても真似できません。なんだか手球の動きが、フリスビーをキャッチして主の元に走って帰ってくる犬のように見えてきました……」
雫はこのゲームをマスワリで取り、そのまま流れを譲ることなく勝利した。近くで試合をしていたケヴィンや雷もこれに続いた。そして、ついに雫はベスト8で雷と相対することとなった。
ベスト16や試合の合間の時間と全く同じ落ち着いた表情の雷に対し、雫は体に力が入り、うっすらと冷や汗を浮かべているようだった。2人の様子の違いは傍目にも明らかだった。
「僕達には見えませんしわかりませんが、ビリヤードという戦いの裏で2人の間には何かメンタル同士の争いが起きているのかもしれません」
雷が巣を張り、その中を雫が恐る恐る飛んでいる。試合が始まったばかりにも関わらず、あまりにも優勢劣勢がはっきりと現れいて、太郎君も少し心配そうに見守っていた。
隣のテーブルで試合をしていたケヴィンも雫の異変に気が付いていた。ふと顔を上げた雫はケヴィンと目が合った。そして試合前、ケヴィンからかけられた言葉を思い出した。
「今更こんなアドバイスは当たり前と思うかもしれないが、昨日の出来事や相手が誰であるかは考えず、とにかく目の前の試合にだけ集中するんだ。それ以外のことは全て後からでいい」
何者かに心を乗っ取られそうになっていた雫は、はっと我に返り、なんとか4-4まで持ちこたえた。
この試合4度目となる雫のブレイクを迎えた。いつもであれば流れるように的球をポケットできたが、明らかに本調子でないことは彼女自身もわかっていて、苦しんでいた。キューを持つ腕がいつもと比べて重く、思考ももやがかかっているように鈍っていた。自分を落ち着けるために大きく息を吐いていると、視線の先に雷の顔が映った。先ほどまでの無表情とは違い、うっふらと含み笑いをしているかのように彼女には見えた。雷の口は開いていないが、雫の頭の中にどこからともなく声が響き始めた。
「お前は自分を強いと思っていたようだが、どれほど浅ましい考えであったかようやくわかったか。外見こそ辛うじて取り繕っているようだが、それとは裏腹に心はこれほど恐怖に満たされている」
雫は体が震え、思わず手からキューを落としてしまった。再び雷のほうを見ると、そこには昨日見た鬼の影が、さらに勢いを増して渦巻いていた。これが雷の力だった。鬼の姿と声を借りて相手の恐怖を最大限にまで引き上げること。相手になすすべなどなかった。この後雫はまともなプレーを続けることができず、試合は8-4であっけなく終わった。